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杉田宗久裁判官のこと(追悼)


25995153_1昨年12月25日に,元裁判官の杉田宗久さん(同志社大学法科大学院教授)が永眠されました(享年57歳)。

私は,49期の司法修習生として,平成7年~8年に大阪で実務修習をしていましたが,そのときの,刑事裁判の指導官が杉田裁判官でした。

当時からエネルギッシュ,指導熱心で,刑事裁判のことで,何を聞いても知らぬことはない本当に優秀な方でした。

杉田さんは修習生時代に,「条解刑事訴訟法」と「条解民事訴訟法」を読破した(実務家が辞書代わりに使う分厚い注釈書で,普通通読できるものではありません。)という伝説があったほどです。

また,刑事実務に関連する多数の論文を集めたファイルが執務室の本棚を埋め尽くしており,「杉田ファイル」と呼ばれていましたが,自宅には,それを上回る民事版「杉田ファイル」があるらしいとも言われていました。

当時,杉田さんは,40歳前後で,まだ部長ではなく,右陪席裁判官でしたが,裁判所の中でも群を抜いて優秀な方で,誰も知らない人はいませんでした。

それでいて,大変気さくで話も面白く若い修習生と酒を酌み交わすことが大好きな方で,修習生からはお兄さん的存在として慕われていました。

また,私が検事に任官し,大阪地検公判部に勤務していたときに,何度か杉田裁判官の法廷(「杉田コート」,と呼ばれていました。)の立会いをしたことがあります。

そのときには部長として合議を主宰し,また,執行猶予を付した被告人と握手をすることで,世間的にも有名になっておられました。

杉田さんの訴訟指揮は,検察官に対しても,弁護人に対しても,ともに厳しくいい加減な立証や妥協は決して許しませんでしたので,刑事に携わる法曹にとって,これほど勉強になる法廷はありませんでした。

当時の実務では,求刑8割といって,検察官の求刑の8割程度の判決がなされることが常識でした。しかしが,杉田コートでは,時には検察官の求刑の半分以下の軽い判決をし,時には検察官の求刑を上回る重い判決をするなど,検察の判断に全く縛られない,確固たる自信に基づく判断がなされていました。

また,杉田さんは,「対質」といって,同じ事柄について,その場で,2人の証人,あるいは証人と被告人同時に尋問するという形式をよくとられていました。これは,非常に珍しいやり方で,他にされる裁判官はほとんどおられません。

私の経験した事件では,傷害事件の共犯者と,被告人がそれぞれ言い分が違う場合に,「今〇〇さんは,こう言いましたが,この点,どうですか。」などと尋ね,その場で真実を追及し,心証をとっている様子がありありとわかりました。

個性があふれ,そして人情味もあるすばらしい裁判官で,心から尊敬していました。

定年を待たずに裁判官を退官された後は,法科大学院の教授として活躍されていましたが,昨年大阪弁護士会でも,裁判員裁判の講義をしていただきました。

そのときは大変お元気な様子で,「実務でもきちんと使える刑法の教科書は,まだありません。それを書くのが,学者になった私の目標です。」と意気軒昂としておられました。

画像は,最近補訂版が出された「裁判員裁判の理論と実践」という書籍で,裁判員裁判の課題を詳しく論じられた最先端の論文集です。

あまりにも急で,そして早すぎる最期については,残念でなりません。

安らなかお眠りを,心からお祈りいたします。